またしても言葉が少し大きいのですが。
平成元年、私は学習院大学法学部法学科に入学しました。
この大学の良いところはいくつもあるのですが、私が2番目に好きな、この大学の特徴は、入学した学科以外の学科の授業を、比較的自由に聴講・受講できる点です。
私は法学科の専門科目以外の授業科目を、いくつか聞いていました。
そのうちの一つが、数学関連の授業でした。
学習院大学理学部数学科にはこの年、全盲の学生が入学していて、飯高茂という先生が、中心になって受け入れ態勢を整えたり、パソコンを利用して点字での授業履修や試験実施をサポートしていました。いや、より正確に言うと、「パソコンを利用して」という単純なものではなく、「パソコンを使って数式を点字翻訳・点字印刷するシステムを考案・構築し、研究者・指導者としてできることを最大限活用し学生の勉強を下支えした」というべきでしょう。
この飯高先生がある日、授業の中で言っていました。
正直言って、全盲の学生を受け入れて、きちんと指導できるのか不安でした。設備が整っているわけでもなく、前例が豊富なわけでもない。何もかも手探りです。ですが、必要な水準以上の学力を備えた学生が、入学し学びたがっている。それなら、受け入れることを前提にして、サポートすべきではないか。対応にもいろいろ不備はあると思う。でもそれを、まわりで支え、改善しながら、環境を少しずつ整えていくのが、我々のすべきことなのではないか。
すでに25年以上も前のことなので、そこまで正確な記憶ではありませんが、だいたい以上のような内容だったと記憶しています。
政治的であってもなくても、自分ですべきことを見つけてそれに取り組んでいく際に必要なのは、不備のない体制をあらかじめ用意することではなく、場合によっては拙速に陥るプレッシャーと闘いながら、それでも環境の改善に向けて、今、努力し続けることなのだと思います。
不備があっていいわけではありません。でも、そこだけにこだわってしまうと、先に進めない。ぎりぎりまで考えて、理想的な社会の実現に向けて、今、動く。それこそ、私がとるべき「政治的方法」だと思っています。
ちなみに、学習院大学の一番の良いところは、こうした少々「風変わり」な先生方が多数籍を置いて、学問に真摯に取り組みながら指導してくれる一方で、学生生活を本当に見守ってくれる点だと思います。
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